今回は人生観が変わるほどの衝撃的な出来事が起こったので、そのことについて話をしていきたいと思います。
まず最初に結論から言うと、ごくごく最近死にかけました。
日常に潜む死の恐怖!危険なヤツの名前は「脚立」
皆さん、脚立は本当にヤバイです。
不審者・変質者・脚立と並んでもいいくらいの危険な奴なんです。
何があったのかというと、1mの高さがある脚立から足を踏み外して、後ろから床に落ちました。
古い脚立で硬くなっていたみたいで、上に登ったタイミングで急に開いてしまい、バランスを崩したのが原因です。
しかも運悪く、両足が脚立の間に挟まってしまって、まるでプロレス技みたいにロックされてしまい、受け身が取れない状態で、後頭部と腰を強打してしまいました。
後頭部なんて、バスケットボールのドリブルみたいにバウンドして「あっ、これ終わったわ」と確信する位の衝撃でした。
いきなり開いて両足をロックするなんて・・・
あの脚立、完全に僕の息の根を止めにきてましたね。
脳が揺れた衝撃のせいで、熟睡してる時にいきなり叩き起こされた時のような、ボーッとした時間が長く続き、唯一思考できたことは、「この脚立捨てよう」ということだけでした。
後頭部には血が滲んでたこ焼きみたいな大きなタンコブができて、腰はギックリ腰みたいな状態になってしまい、生まれたての子鹿よりも立つのに時間がかかってしまいました。
すみません、少しふざけすぎましたが、ここから真面目にいきます。
今まで生きてきた中でこんなに強く頭と腰を打ったことがなかったので、正直痛みなんかよりも、脳内出血と神経系のダメージがあるんじゃないかという不安の方が大きかったですね。
しばらく休んだあと、近くに知り合いがいたので、その方に車で送ってもらったあと、すぐに病院で検査をしてもらいました。
待合室の恐怖と検査結果
病院では、脳のCTと腰のレントゲンを撮りました。
待合室で診察の順番を待っていると、痛みがだんだんと強くなってきて、さらに吐き気も若干あったので、結果が出るまでは怖くてしかたがなかったです。
この時の心情としては、「職場に迷惑がかかるな」とか「手術になったらどうしよう」よりも、それ以上に自分の死について深く考えました。
もしもこのまま死んだら「周りはどうなるのだろうか?」とか「人生に後悔はないのか?」など。
前回の「沖縄に移住するメリット8選」という記事で、
「僕たちは次の瞬間死ぬかもしれない世界線で生きている、だから1日1日を楽しんで生きたい」という話をしたばかりだったので、
まさか、こんなすぐにそれを身をもって体験することになるとは・・・っていう驚きもありました。
そして肝心の検査結果なんですが・・・、奇跡的にどこも異常はなしで、本当に安心しました。
しばらく首の痛みと腰の痛みが続いたりしましたが、1ヶ月くらい経って、普通に生活できるくらいまでは回復することができました。
あと、脚立は捨てました。
厄年は前向きな転換点かもしれない
実は今までの話は前置きで、ここからが本題になるんですが、
実は僕、今年が厄年で後厄なんですよ。
今回自分の不注意とはいえ、こんな事故が起きてしまいました。
それよりも本厄の去年はもっと酷くて、
10年間一緒にいた嫁さんと離婚したり、健康診断で倒れて前歯を折ったりして、まさに「THE 厄年」的なことが起こったんですね。
離婚に関しては今でも連絡を取り合うくらい、わだかまりのない円満離婚だったんですが、生きてきた中で1番辛い出来事ではありました。
周りからは「お祓いに行った方がいい」とか「不幸続きだから大人しくしておいた方がいい」なんてことを言われて、
あんまりそういう事を信じない僕ですら「これはヤバいかも」って少しだけネガティブになっていました。
ところが、よくよく考えてみると、一見不幸なことが起こってるように見えて、実は逆なんじゃないかって思うようになったんですね。
というのも、離婚の件にしろ前歯を折った件にしろ、そして今回の事故も、もしもその出来事が起こっていなければ、たぶん僕は自分の人生に疑問を持つことなく、変化も成長もない日々を過ごしていたと思うんです。
起きた出来事はもちろん辛かったけど、そのおかげで自分を見つめ直すきっかけになれたし、自分が本当に行きたい方向に舵をきれたので、今ではポジティブに捉えられています。
だから10年経った時に、「あの時は本当に辛くて嫌だった」じゃなくて「あの出来事があったおかげで人生うまくいったぜ」と思えるような、前向きな転換点になると信じています。
なのでもしも今、僕と同じように不幸続きの厄年を過ごしているというかたがいらっしゃったら、ぜひこの出来事を意味のあるものだと前向きに考えて、一緒に前に進んでいきましょう。
あと、脚立だけは本当に気をつけてください。
死にかけて思い出した2つの大事なこと
そして今回脚立から落ちたおかげで、僕は今まで忘れていた、ある大事な事を2つ思い出すことができました。
それは、「僕が本当にやりたかったこと」ともう一つは、「人生には「死」という締め切りがあるということです。
今までは、身近な人が亡くなっても、ニュースで事故の映像を見た時も、どこかで自分だけは死なないっていう変な自信がありました。
死だけは誰にでも平等に訪れるのに、自分だけは特別だってなんの根拠もなく、そう信じていました。
きっと、死を意識できなかったのは、自分の人生に意味を見出せてなかったからだと思います。
人生に意味を見出せている人には総じて目的があって、否が応でも「死」という締切を意識しないといけないですよね。
反対に人生に目的がない人は、締め切りという概念がないので、本当の意味で死を意識するということは出来づらい思います。
僕は後者の人間でしたが、死に直面したことによって、人生の目的を思い出すことができました。
それについて少しだけ話をしたいと思います。
僕の人生の目的は「沖縄を前に進める」こと
僕が本当にやりたかったことは、「沖縄を前に進める」ということです。
抽象度が高くてなんのこっちゃと思われるかもしれませんが、そのためにyoutubeチャンネルも作りました。
この話はすごくセンシティブな内容なので、今ここでハッキリと具体的なことを断言することはできませんが、僕は沖縄に公平性のあるメディアを作りたいと思っています。
もちろん、既存のメディアが全てダメだというわけではなく、彼らの作る番組や特集はクオリティが高いものが多くて、沖縄で生まれ育った僕としても共感できる部分はあるし、素直に尊敬できます。
ただ、公共の電波で一つの方向性だけを提示し続けるというのは、たとえそれが正しい情報であったとしても、県民の考える力を奪ってしまう恐れがあるんじゃないかと僕は危惧しています。
何かを判断するというのは、少なくともいろんな事実から派生する可能性を総合的に精査して、その上で初めて自分にとって何が良いのかと言うのを、
感情だけではなく、理性的にも考える必要があると僕は思うんです。
現時点ではぼやっとした表現でしか言語化できませんが、ここら辺の話は察してもらいたいです。
とにかく僕は、都合の良い情報・悪い情報関係なしに、沖縄に関する全ての事実を並べた上で、それらを比較検討してから、自分の頭で考えて決断を下さないと、
それはもはや「別の誰かの意見であって」自分自身の意見ではないのではないか?と考えています。
情報を元に何を考えどう動くかを決めるのは僕たち民衆であって、メディアではないと思います。
だから僕は、好き嫌い関係なくなるべくたくさんの情報を加工なしの状態で扱って、もしもその情報について意見を述べるのであれば、いろんな考えを公平に扱って、「あくまでも決めるのは視聴者です」というスタンスのメディアを作りたいんです。
・いろんな情報があります
・それに対するいろんな意見があります
・でも人それぞれ立場によってメリットデメリットが違います
・じゃあ私はこうしたい!
というように、
受け身ではなく能動的に考えれる人が増えていけば、間違いなく沖縄は前に進むことができると、僕は信じています。
少し長くなってしまいましたが、それが僕がこれから人生をかけてやりたいことです。
とはいえただの一般人の僕がいきなりそんな事をできるはずもないので、まずは地道にたくさんの人にリーチできる沖縄関係の動画と記事を出していって、少しづつでもいいからチャンネル登録者数を増やしていきたいと思っています。
そしてある程度、チャンネルが育って影響力がついてきたら、沖縄の深いところの情報を扱っていければと思っております。
それには皆さんの協力がどうしても必要になってくるので、もし良ければチャンネル登録をしていただけるとありがたいです。
今回はいつもと違った内容だったんですが、決意表明も兼ねて記事に残してみました。
沖縄に移住するメリット8選【人生激変レベル